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しっぽ

 小春日和の昼下がり。公園のベンチに初老の男性が独り、腰掛けている。
 初老の男性、と書いたがそれは我々のよく知る“人間”ではない。トカゲと人の中間のような生物だ。この世界での人は、そのような姿をしている。誰もが皆、様々な長さと重さの尾を、後ろに垂らしながら生きている。

 その男の尾は太く大きく立派だった。そしてまた非常に重そうでもあった。
 男は虚ろな眼で、只、空を見上げていた。それは無情に時が過ぎて行く事にさえ、苦痛を感じなくなり、受け入れてしまっているというような瞳だった。

 そんな彼の元へ、元気そうな少女が真っ直ぐ駆け寄って来た。
 彼女のスカートの後ろにある隙間から、ちょこんと生えている小さな尾には、赤いリボンが揺れている。それは彼女が頭につけているものと同じだった。
 
 彼女はニコニコと男に話しかけた。
「おじちゃん、こんにちは!」
「あ? ……ああ、こんにちは」
 彼は我に返って、少女に眼を向けた。少女はキラキラと光る眼差しで彼を見た。
「おじちゃんのおしっぽは、大きいね。長いね。あたしのおしっぽは、こんなにちっちゃいのに」
「ああ……そうだね。私のしっぽは確かに見た目は立派だね。でも重くて硬くて、走る事もできなくなってしまった。自由に動かす事もできないよ」
 少女は納得したように大きく頷く。
「そっかー。だから、ずーっとここで、座ってるんだね、朝にもここにいたもんね」
「ああ、そうだよ。最初は、ここにいるのが嫌だったけど、今はもう慣れた」  
「ふーん……」
 少女は眉根を寄せて何か考える。そして閃いたように手を叩いた。
「あ、じゃあ、おしっぽ、切っちゃえばいいんじゃない?その気になれば、いつでも切れるって、お向かいのおじちゃんに聞いたよ。切れば、また生えるんだって」
 その少女の、とてもいい事を思いついたという顔に、男は笑って答えた。
「ははは。そうだね、その気になればいつでも切れるけど」
「けど?」
「もの凄く痛いんだ」
「そうなんだ。痛いのは嫌だね」
 少女は顔を曇らせた。男は言葉を続ける。
「それにね」
「それに?」
「再生したしっぽにはもう、骨がなくなるんだよ」
 少女は頭を傾げた。
「痛いのは怖いけど、骨がなくなるのも怖いの?」
「うん、怖いね。とっても怖い。この重さ、長さは骨があるから、意味があるんだ」
「ふ-ん?」
 彼女は良く解らないという顔で返事をする。
「でも、それでも、お向かいのおじちゃんは、しっぽを切って凄く楽しそうだったよ? スキップしてた」
「そうかい。でも本当は、痛さを隠そうとして無理矢理、楽しそうにしているのかも知れないよ」
「えー? そうなのかなぁ」
 男は寂しそうな笑顔で地面を見た。
「それに私には、その人みたいに、しっぽを切って捨てちゃう勇気はないんだよ。痛さに、怖さに耐えられそうもないから」
「そっか……。誰でも痛いの、嫌だもんね」
 男は顔を上げて、少女を見つめた。
「お嬢ちゃんも、いつかしっぽを切りたくなる時が来るかもしれないけど、その時はよく考えてから、決めるんだよ」
 彼女はニッコリと笑って答えた。
「はーい。でも、あたしには、そんな時は来ないと思うよ。だって、あたし、自分のおしっぽ、大好きだもん」
 少女はお尻をちょっと男のほうに向けて、その愛らしい尾を男に見せると、すぐにはにかんで笑った。
「へへへ。可愛いでしょ?」
 男は少女を眩しそうな眼で見た。
「うん、うん。そうか、そうか。大好きなんだね」 
「うん! 大好き! あっ、もう夕方だ。じゃあまたね! おじちゃん!」
 少女は大きく手を振って、街の方へ駈け出していった。ここへ来た時と同じように真っ直ぐに。
「ああ、じゃあ……」
 男は聞こえるかどうかの呟きと共に、軽く手を上げた。
 
 少女が見えなくなると、男はまた、顔を空へ向けた。
 茜色を帯び始めた世界は、その温度を急速に下げていく。
 男は眼を閉じた。時の狭間に漂うように、ゆっくりと。

by suku-ru | 2012-04-02 11:08 | 物語