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バス停

 坂の途中にあるバス停で、青年がバスの時刻表を見上げていた。
 じっと立っていると、まだ少し寒い春。だがもう日差しはその強さを増していて、眩しい。
 バス停の後ろにある団地には桜が微笑むように咲いている。その桜から、はらはらと花びらが舞い散って、彼の目の前をふわりと通り過ぎていく。
 彼は何気なくそれを目で追った。
 すると、その先の坂道に少女がいた。中学生くらいか。細い身体にボーイッシュな髪で、勝気そうな瞳が印象的だった。
「翔子、ちゃん?」
 彼は思わず、その少女の名を口にした。
 少女は無表情、いや、どちらかというと怒りにも似た表情で彼を睨みつけた。
「何であんたがここにいるの」
 低く押し殺した声でつぶやく。だがそれは彼には聞こえなかったようだ。
「え、何?」
 その間抜けな質問を、翔子と呼ばれた少女は無視し、スカートの裾を手で押さえながらベンチに座る。そしてすぐ、腕と足の両方を組んだ。何かを拒絶するような格好だ。
 青年はその態度に苦笑いを浮かべ、黙り込んだ。
 
 しばらくの間、舞い散る桜の花びらと時折通る車の音だけが時の流れを示した。

 少女は大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐いた。溜息だろうか。
 やがて、ハッキリと聞こえる声で言った。
「アキラさん」
 ビクッとする青年。どうやらアキラとは彼の名前らしい。
「え、何?」
 翔子は、先ほどと全く同じセリフを吐いた彼には一瞥もくれず、真っ直ぐ前を向いている。
「何で、今更、あなたが、ここに、いるんですか」
 一つ一つの言葉を強調するように切りながら話した。さながら詰問のようだった。
 アキラは鼻の頭をこすって、返答する。
「何でって……たまたま、かな……」
 翔子は吐き捨てるように言った。
「嘘つき、サイテー、バリキモ!」
 ちなみにバリキモとはバリバリキモいの略である。
 アキラはまた苦笑いを浮かべた。
「ば、バリキモって……ひでぇな」
 その言葉に翔子は反射的に立ち上がって、彼の方を向くと叫ぶように捲し立てた。
「だってそうじゃん! まだお姉ちゃんの事、あきらめらんないんでしょ! だからここに来たんでしょ! 違うの!?」
 その突然の勢いに圧され、息を呑むアキラ。やがて、その呑んだ息を吐くと、悲しげな表情になった。
「……翔子ちゃんは、あの頃から言ってたよな。俺とアイツの事なら何でも解るって……ホントだな」
 翔子の声は震えていた。
「もう……あれから一年だよ。わたしも中二だよ。何なの! お姉ちゃんだってもう別の人、好きなんだよ! 何なの、これ!?」
 翔子はもうほとんど泣いている。アキラはただ、悲しげな顔のまま、無言で俯いていた。
「あー、もう! 頭ぐちゃぐちゃだよ! わたしはわたしが嫌い! こんなのわたしじゃない! 何でよ! なんで今更……!」
 翔子はアキラの胸元に、体ごとぶつかった。彼は驚いた。
「えっ?!」
 慌てるアキラの胸を叩きながら、翔子は泣きじゃくる。
「嫌い、嫌い、嫌い……っ!」
 嗚咽しながら、言葉を続けた。
「うう、バカぁ、わたしのバカぁ……うう……」
 アキラの顔から驚きは消え、その表情は憂いを含んだものに変わった。
「そう、だったんだ……。翔子ちゃん、俺の事……」
「気付かなかったの! 気付くな! バカぁ!」
 その支離滅裂な言葉こそが彼女の気持ちなのだろう。
 アキラは何もせず、ただ立ち尽くす。
「ごめん……」
「謝んな!」
「うん……でも、ごめん」
「分かってる! 帰れ!」
 翔子はアキラを突き飛ばすように、腕を伸ばした。わずかによろけるアキラ。
「っと。うん。帰るよ、バスが来たらね」
 その悲しげな笑みを浮かべたアキラを、また睨みつける翔子の瞳はしかし、涙目で、顔も真っ赤だった。

 少し距離の開いた二人の間に、柔らかな風が吹いた。ひらりと桜が舞う。
 丁度その時、バスのエンジン音がした。バスが停まり、軽い空気音と共に後部ドアが開く。
 アキラはそのステップを昇ろうとして、翔子に声を掛けた。
「乗る?」
 翔子は顔を横に振った。
「そう。じゃあね」
「ふん」
 アキラはまた悲しげに笑うとステップを昇り、バスに乗り込んだ。ほどなくドアが閉まった。バスは警笛を鳴らすと、緩やかに走り出した。地に落ちていた花びらがまた、舞う。

 翔子はその桜の中へ消えて行くようなバスを見送った。
 泣くのを我慢するような、口元をギュッと結んだ顔で。

by suku-ru | 2012-04-10 09:07 | 物語